台南観光

台湾一周旅行で立ち寄った台南。行きたい場所が多く、二日間滞在することにし、様々な場所に行ってきました。ここでは台南観光で立ち寄ったスポットをまとめます。(奇美博物館には休館日を確認してなかったので行けませんでした、お見知り置きを。。。)

台湾国立歴史博物館

まず国立台湾歴史博物館に行きました。アクセスが悪すぎることが残念ですが、台湾の歴史を知るにはとてもいい場所でした。史前の展示は少なめですが、オランダ人が台湾に来たあたりからの歴史の展示がメインです。

僕なりに最適解だったアクセス方法
台鐵台南→永康車站→国立台湾歴史博物館
台南駅から永康駅までは台鐵に乗り、永康駅からはタクシーに乗ります。
ちなみに土日はシャトルバスもあるそうなので、それに乗るのが一番です(僕は平日に行きました)。
永康駅には黄色タクシーが待機してるので問題ありませんが、帰りは僕の見たところではタクシー乗り場は見つからなかったので、Uberを呼ぶのがいいと思います。
お金に余裕がある人は、台南駅からタクシーに乗って行くのが一番楽ですが、お金のない人はこれが一番いいと思います^^

中の様子はこんな感じ。2階がメインの常設展示になっています。面積は広くなく、展示は凝縮されている印象を受けます。

台湾が発見された頃の台湾地図。今の地図とは大違いです。昔発見されたばかりの頃は本当に未知の島だったのだな、と感じます。「A MAP OF FORMOSA」と書いてあり、まだ台湾という呼称が浸透していないことが分かります。

この地図では台湾の解像度がかなり上がっています。福建省の地図と書いてあるので、台湾も福建省とみなされていた時代のものだと考えられます。僕が気になったのは西側の平地と少しの山のみの描写になっている点です。東側はまだ発見されていなかったのか?発見されていたとしても、未だ未開拓の地であったのか??

台湾地図史を少し調べてみたところ、おそらくこの地図は明か清の時代のものだともいます。東側は未開拓ではなく一応認識されてはいたらしい。ですが、完全に今の時代と同じ地図になるのは日本統治期に入ってからです。

05番は寛永通宝です。これが台湾で出土したということは、日本との交易があったということが分かります。寛永通宝は江戸時代の通貨です。日本の江戸時代は清の時代と被ります。この時台湾は清の領土の一部だったので、台湾と交易をしたというよりは清との貿易の過程に台湾(台南)が含まれていたという方が適切かもしれません。

時代は進み台湾民主国時代に。この旗、個人的にデザインがとても好きです。

時代は日本統治時代へ。日本の統治は台湾に近代化をもたらしたと言われますが、それは学術的な近代化も含まれています。つまり先述の地図に関しては日本統治時代に現代と変わらぬ正確な地図が出来上がり、上の写真のように、台湾に住む人間はどのような人間なのか?という研究も進みました。台湾は昔から一つの民族のみが暮らす場所ではなく、時代によって様々な人が流れ入ってくる、移民国家でした。これを解明し体系化したのもこれが初めなのではないか?と考えます。この研究では原住民の分類を完全に解明できたわけではありませんが、原住民を分類するという観点でこれ以降の学術研究の基礎になった、と書いてあります。

こういった近代化を強調することは植民統治を正当化しているようにも聞こえますが、あくまで武力統治を肯定するのではなく、日本統治は台湾に善悪両方の影響を与えた、という認識を持つことが、中立に日本統治期を認識することに必要だと考えさせられます。

日本統治期の街並みを再現した展示。この展示がどれだけ完全に再現されているのかは分かりませんが、この頃から騎樓があったんだなあと思いました。(騎樓とは建物の入り口の前にある屋根がある通路のこと、)

日本統治期の道についてある文献を読んだことがあります。日本統治期の騎樓の下の道は段差がなく、とても綺麗に整っていたそうです。それが国民党の遷台をきっかけに「私」の力が強くなり、今のような凸凹な騎樓になってしまったそうです。台北はまだマシですが、台南の凸凹具合は異常です。スーツケースを引こうもんならいくつもの段差に突っ掛かり、自分で持ち上げずに目的地まで辿り着くのは不可能です。自転車ももちろんまともに乗れません^^普通に整備して欲しいです^^(これはただの要望)

日本統治期の警察です。今のお巡りさんとは違い、当時の警察は、配属先の統治、教育という役割が強かったようにいろんな文献や資料を見て感じました。

日本の戦時中、台湾も例に違わず戦争に参加します。歴史を知っている身として、台湾は昔日本で戦争にも巻き込まれたというのは理解できますが、これらの資料を見ることによってこれらの知識が実感に変わった感覚がしました。

日本統治期の資料をここまでたくさんみれるのはここぐらいではないか?と思います。
日本統治が台湾にもたらした歴史的な影響をたくさんの資料を見て学べるとてもいい展示だと思いました。だからこそ日本人がほぼ行かないようなこんな場所に建ててしまったのが本当に残念です。

これは中華民国時代に突入した後の資料です。「我要說國語 不說方言」というスローガンが目に留まりました。今となっては郷土教育がとても盛んで、台湾語を中心とした土着語を大切にするようになりましたが、国民党政府が遷台した頃には土着語を弾圧していました。

実際に聞いた話ですが、当時学校では台湾語を話すことが禁止されていたそうです。

まとめ
とてもいい展示内容とサイズ感だと思いました。台湾の歴史が短いことも確かですが、多くの資料を2階に凝縮されていてとても見やすいという印象でした。台北には故宮博物館がありますが、これは蒋介石が遷台の時に持ってきた”中国の財宝”です。中国の資料を見るにはとても最適な場所ですが、台湾の歴史を学ぶことはできません。台湾の歴史を学びたい人にはとてもうってつけの場所だと思いました。

王育徳紀念館

歴史博物館とは違い、ここは台南市街の中のとてもアクセスのいい場所に建てられています。

王育德紀念館は王育徳の生涯を学べる場所です。

そもそも王育德って誰??となります。台湾人でも知らない人が多く、日本人は尚更です。
ちなみに自分はいつ王育德のことを知ったのかあまり記憶にありません。笑
ただ、王育德は日本ととても関わりの深い人物です。王育徳の概要は以下の通りです。

王育徳(おう いくとく、台湾語: Ông Io̍k-tek、1924年1月30日– 1985年9月9日)は、台湾出身の言語学者。日本で台湾語や中国語諸言語の研究をおこなうかたわら、国民党独裁政権下で台湾独立運動をおこなった。明治大学講師、のちに同大学商学部教授。1969年から死去まで東京外国語大学の台湾語講座も担当した。(Wikipediaから引用)

簡単に要約すると、「台湾人でありながら日本で台湾語の研究た人物」です。

王育德は日本統治期に生まれ、日本語教育を受けていたので日本語はとても流暢です。
展示の中には当時日本で開講してた授業の音声が聞けるコーナーがありました。
日本語で台湾語の授業をする王育德の肉声がひたすら流れるという、日本語がわかる人にしか聞いて理解できないというやや謎な展示でした。

王育德の書籍は全て日本語なので、日本で出版されたものばかりです。今では絶版になっていますが、中古で頑張って手に入れることも可能です。
中でも『台湾-苦悶するその歴史-』という本は、台湾人王育德が書いたものなのに、本人が書いた日本語版を中国語翻訳し、台湾で出版されるというなんだか不思議な流れ方をしている本もあります。

展示にはほぼ全てに解説の日本語訳があり、中国語がわからない日本人も理解ができるようになっていました。

王育德は台湾語の研究をしたというイメージしかありませんでしたが、それ以外にも台湾青年という雑誌を創刊するなど、台湾独立派として活動を行っていたそうです。

今『台湾-苦悶するその歴史-』を読み始めたので、読破頑張ります^^

台南市消防資料館

日本統治期、昭和5年(1930年)に建てられた。中には消防に関する展示や資料があります。

歴史的なことはあんまり学べなかったので、特に印象はありません。

国立台湾文学館

台南市消防資料館の道挟んだところにある建物。この建物も日本統治期に建てられた建物です。以前は台南州廳でした。
設計は森山松之助によるもので、総統府や監察院の設計も手掛けた人物です。

中には名前通り文学に関する展示があった。ですが元々建物を見るつもりだったので、あまり展示は見ませんでした笑

豬飼料柑仔店(kám-á-tiàm)

これはスポットというよりはお土産屋さんです。可愛いパッケージのポップコーンや、スナック菓子が売っています。あまり知られてないお土産屋さんのようです。ちょうどいいお土産が買えます。

柑仔店(kám-á-tiàm)は台湾語でよろず屋という意味だそうです、知らなかった!

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